Talking Eyes

プチパパは、山口で元気に暮らしています。痩せたし、ほぼ健康になったし ・・・・ 多少、否、多分に刺激欠乏症気味ですが(笑)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

PageTop

梨狩り

長門峡の近所の梨農園で、生まれて初めて梨狩りに行きました。もちろん二十世紀です。梨=二十世紀です、プチパパ的には。

DSC_7895R.jpg

って、袋をかぶっているので梨ってわかりませんけどね。

もぎたてってぬるいのかと思っていましたが、意外にも冷やっこくてビックリ。600円の入場料で2個もいただきました。
周囲を見渡せば、グランドシート、お弁当、麦茶、果物ナイフ持参で来られている家族連れ(ただしパパ抜き)が何組か。いっしょに行った産婦人科医と感心しきり。
梨の枝の下は涼しいので、日がな一日すごしてもいいですね。


このあとは、夏の雑炊!
プチパパはまったく知りませんでしたが、このお店はけっこう有名店みたいです。

DSC_7892R.jpg DSC_7893R.jpg

左が鳥雑炊、右が鮭雑炊です。
鳥雑炊は、ワカメの味が強く、その上、プチパパにはしょっぱすぎです。
鮭雑炊は、鮭フレークが多すぎ!鮭フレークを山盛り入れるよりも、切り身の1つでも入っているほうがいいのに。
どちらも量が多すぎて、二人とも半分残してしまいました。もっとも雑炊ですから大半は水分。トイレに2・3回行けばお腹はすくのですけどね。


スポンサーサイト

PageTop

面白く生きようよ!

DSC_7861R.jpg

高杉晋作の辞世の句といわれている句が刻まれています。

面白きこと なきこの世に おもしろく

面白いことをしよう、面白く生きよう!
世の中のせいにせず、なければ自分で作ろうぜ!

(あくまでプチパパの勝手な解釈)

この感覚、スキです。
大儀を上段に振りかざす人は「面白い」=「不真面目」ととりがちですが、高杉晋作はアマノジャクだったのかも。きっと 型(笑)


高杉晋作の歴史を見ていて思い出したのですが、彼は明倫校(長州藩藩校で、現在の萩市立明倫小学校)、昌平坂学問所(神田明神下の昌平橋あたりにあったのかしら)、松下村塾と学んでいたのですね。

松下村塾の主宰者吉田松陰は山口県では偉人で(当たり前か!)、県内にいくつも「松陰研究会」があったそうです。
プチパパがいた大学の教授がそのうちのひとつの研究会をやっておられて、「プチパパくん、ぜひ研究会に来なさい」とお誘いをいただいていたのですが、遊びで時間の余裕がなかったので不義理をしていました。
あのとき参加していれば、高杉晋作の人となりをもう少し詳しくお伝えできただろうと思いますが ・・・・






PageTop

感謝

見れば、4万アクセスになってるじゃないですか ?!
そこはかとなく気まぐれに、駄文を書き連ね、お目汚しの写真を並べただけのブログに、たくさんのご来訪、感謝いたします。

今後も大した進化は望めませんが、気が向いたときだけでけっこうです、思い出していただいたときだけでけっこうですので、ときどき遊びに来てください。


PageTop

西行 ・・・ 東行

プチパパは東京からはるか1千キロの西国に来ていますが、反対に東に行こうとした人がこの地にいます。
伊藤博文をして

動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し。
衆目駭然として敢えて正視するものなし。
これ我が東行高杉君に非ずや。

と言わしめたその人は、そう、高杉晋作です。

DSC_7852R.jpg


ご存知のとおり、高杉晋作は自らが目指した夜明けを見ずして病に没してしまいました。
彼の亡骸は、彼が組織した奇兵隊の本拠地付近に葬られ、彼の恋人(不倫らしい)おうのが出家して梅処尼となり、その墓所近くにあった山県有朋の住居を譲り受け、東行庵と名づけたこの庵で彼の墓を守ったとのことです。
後の明治中期に伊藤博文井上馨らの寄進を受けて立て直されたのが現在の建物だそうです。

DSC_7850R.jpg

このときに建立された碑に刻まれているのが、冒頭の碑文です。

DSC_7860R.jpg

この建物は築100年以上なのですが、大工さんたちが気合を入れて作ったのでしょうね、まったく狂いもなく、障子や襖は非常にスムーズに動きます。

DSC_7854R.jpg

また、近隣の方々が手弁当で管理されているそうですが、建物もお庭も隅々まで手入れが行き届いていました。

DSC_7859R.jpg

高杉晋作と梅処尼、およびその後二代の住職(尼)さんの位牌が祀られている祭壇です。


じつは、この東行庵は毎年5月の連休に特別公開があり、それ以外の時期は公開していないそうです。

「中には入れないのですか?」
「どちらから来なさった?」
「東京からです」
「そりゃ遠路ご苦労様じゃのぅ。少しばかりじゃけどご案内しましょうのぅ」

そんな会話があって、東行庵の中を案内していただけました。
# 品川ナンバーと「東京」という言葉の威力はすごい!
プチパパは、プチ写真を撮りたくてお庭に入れないかとお尋ねしたつもりだったのですが、・・・ ご親切ですね、感謝!



PageTop

歳をとると夏はきつい!

プチパパもきついけど 、年寄りにはもっとキツイ夏!

プチグランパの容態が思わしくなくて、プチパパがこちらに来ているのですが(老々介護のプチグランマもしんどそう)、危ないながらも何とか点滴でもっているのですが ・・・・

そうこうするうちに、兵庫県の山陰に住むプチ叔母(プチグランマの妹)が夏を越せずに逝ってしまいました。プチパパの年齢からすれば、両親や伯(叔)父・伯(叔)母が順不同で逝ってしまうのはしょうがないことですが。

そんなわけで、明日からプチグランマを連れて2泊3日のお葬式の旅。これがまた鉄道が不便な場所(きつね隊長の実家の近所←あくまでイナカの感覚で:笑)で、山陰本線の*本線*とは詐欺のような名前です。新幹線と在来線を乗り継いで、(乗り継ぎの良い列車を選んでも)5時間以上(クルマだと7時間くらいかな)。プチパパは、エコノミークラス症候群が心配です。足の指をグーパーグーパーしたり、アキレス腱を伸ばしたり縮めたりして、塊ができないようにしなくては。

鉄道好きなプチパパですが、こんな形では鉄道の旅を楽しめそうにないですね。
と言うのは建前で、智頭急行線を通る187系は初乗りで、ちょっとだけ楽しみ(HOT7000形気動車は以前に乗りました )。一応、カメラとプチはバッグに入れましたゾ :p


そういえば、学生時代に、列車に乗り遅れた友人を車(冷房なしのN360)に乗せて、山口線・山陰本線と列車を追いかけたことがあります。
彼の行程の2/3くらいの距離で列車には追いつきましたが ・・・ 映画であれば、クルマから列車に乗り移るところですが ・・・ そこまで行ったのだからと、そのまま彼の実家まで送りました。そのくらい遅いのです、山口線や山陰本線は。
彼の実家の下を流れる清流(オオサンショウウオの生息地)で体を冷やし、おいしいスイカをいただきました。夜の彼の両親との会話で列車を追い越してきたということをいたく感心されたことを覚えています。
そんな彼は、ソルボンヌ留学後に実家に帰ってイナカの小学校の教師になり、今は校長先生とか。ヘンなヤツでした。

続きを読む

PageTop

ドジ!

山口の提灯七夕を見てもらうとけっこう張り切っていたのですが ・・・・ まったくもぉ~です。

カメラにバッテリーが入っていなかった。最悪なドジ。SDカードならどうにかなるのですが。
そんなわけでiPhoneのカメラの写真ですので最低品質ですがご容赦を m(_ _)m


先日も書いたように、提灯の中は本物のロウソクです。その点灯はこんなカンジ。

IMG_0185R.jpg

ロウソクの点灯のボランティアもあるそうです。

で、日が落ちると ・・・

IMG_0187R.jpg

提灯のトンネルです。

で、この日は開業医宅に泊まり、酒盛り。懐かしい面々、昔話。気分は学生時代。


翌日は、日のあるうちはウダウダと過ごし、日没間際から海へ。
先日乗ったヨットではなく、この日はクルーザーへ。行き先は、光市虹が浜沖。
花火を海から見ようという趣向。

その前にいったん家に戻ってバッテリーをピックアップしたのですが、今度はカメラを車に置き忘れて ・・・ (ヒサン

IMG_0190R.jpg

ピンボケなのではなくテブレです(どっちもゴミであることはいっしょですが。
25nt(約時速45キロ)で失踪するボートは揺れるのです。

陸から見ても海から見えも同じジャン!
そう思っていましたが、違うのです。
花火を打ち上げている台船から約100mくらいのところで見ると、大きな花火は(感覚的に)ほぼ頭上真上で炸裂。それに、距離がメチャ近いから、光と音がほぼ同時。大迫力です。
そのうえ、その花火がしぼむ(?)とき、ちょうどクラゲを下から見ている感じで、なかなか幻想的。

IMG_0207R.jpg

この花火はあまり大きくないので高度も低い。だから、クラゲではないのですが ・・・・


今回は失敗でしたが、次回巌流島はバッチリ!(の予定)。
乞う、ご期待。



PageTop

田舎は ・・・・

田舎はヒマなので、TVをよく見る。
で、思ったのだけど、学生時代(かれこれ30年以上昔)のこちらのTVCM(ローカル)は、紙芝居みたいに映像が動かなかった。最近は、ちゃんと動く!
きっと進歩なのでしょうね。

明日は、山口(市)の七夕
山口の七夕は、竹の枝々提灯をぶら下げます(上記リンクの写真参照)。そして、この提灯の中は電球ではなく、火のついたろうそくが入っています。だから、午後9時ごろになると(7時ごろの点灯だと思います)、ろうそくの火が提灯に燃え移り、頭の上から火のついた提灯が燃えながら 落ちてきます(怖)
Wikipediaによると、三大火祭りとか言われているようですが、ホントかな~。昔はそんな話、聞いた覚えがありません(笑)。いつごろから言われているのでしょうかねぇ。

ウチの父親がまだ元気だったころ、なにかにつけて「あれは日本一だ」とか「日本屈指だ」とか「あれは他所とは違う」言って、他所との比較で自所の優位性を自慢していました。まあ、いま思い出すとほほえましくもあるのですが、当時はそれが嫌で、まるで田舎的精神構造の象徴であるかのように忌み嫌っていました。
昔、アメリカでダラス・フォートワース空港アトランタ空港が「オラが空港さ、一番」を争っていたのを思い出します。当時、ダラスの人は「一番広い」と自慢し、アトランタの人は「便数を考えればウチが一番」と自慢し、・・・・ 「いいじゃん、どっちでも。日本の田舎っぺと同じじゃないか!」と思ってましたね。

ともあれ、明日、行ってきます。
プチを連れては行きますが、写せるかどうか。
久しぶりに会う友人たちは、ほとんどが開業医(と若干の勤務医)か校長先生(実に交友関係が偏っている!)で、マジに引かれそゔ。でも、そんなときに、フォトコンテスト入賞というのがもっともらしいアリバイになる(笑)

PageTop

津和野は島根県です、念のため

「萩・津和野」とセットで語られることの多い津和野ですが、津和野は石州、つまり島根県鹿足郡津和野町です。

大学時代、キャンパスからクルマで約1時間だったので、この津和野にはよく来たものです。
ここで時間をつぶしていたのが蕗の茶屋

入口の写真は撮り忘れたのでリンク先をご覧ください。ただ、実際よりかなりきれいに写っています。
中はこんなカンジ。

IMG_0170R.jpg

IMG_0171R.jpg

大正レトロといえば聞こえはいいけれど、椅子やテーブルを見てお分かりのとおり、古~いお店です。
お店の中にはたくさんの和紙の細工物に混ざって、古いグッズがたくさん。ロケ等で訪れたのでしょうか、映画などの関係者の色紙もたくさん。

そんなお店でいただくのは、当然「つわぶきご飯」。

IMG_0173R.jpg

煮たつわぶきの茎をあつあつのご飯に混ぜ込んだもの。
上記のリンク先の記事では「炊き込んだ」とありますが、勘違いされてるようです。お母さんによると、炊き込むとつわぶきのアクが出て、ご飯が白くならないそうです。

そんなお母さんと昔話をしていたのですが、お母さんがこのお店にお嫁に来られたのが昭和39年(1964年)、プチパパがこのお店に来ていたのが、ブーム前の昭和47年(1972年)からブームピークの昭和50年(1975年)前後まで。すっかり昔話に花が咲いてしまいました。
当時は「萩・津和野」がan-anやnon-noを持った若い女性たちに大ブームのころで、「このお店でもね、外に行列ができた上に、お店の中の通路まで人が立ってたものね」なんてね。
でも、ブームの去った津和野は、元の山間部の小さな町に戻っていました。


津和野で大好きなものをもうひとつ。それは葉わさびのしょうゆ漬け
これをあつあつご飯にのせていただくと、おかずなしで2杯は食べられます。また、酒の肴としても最高なのですよ。
ただ、買って帰ったのですが、速攻食べてしまって写真がありません。スミマソ (^^)ヾ
今度時間を作って、買出しに行っておきます。


ほらっ、山口に行ってみたくなったでしょ!

PageTop
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。