Talking Eyes

プチパパは、山口で元気に暮らしています。痩せたし、ほぼ健康になったし ・・・・ 多少、否、多分に刺激欠乏症気味ですが(笑)

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西行 ・・・ 東行

プチパパは東京からはるか1千キロの西国に来ていますが、反対に東に行こうとした人がこの地にいます。
伊藤博文をして

動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し。
衆目駭然として敢えて正視するものなし。
これ我が東行高杉君に非ずや。

と言わしめたその人は、そう、高杉晋作です。

DSC_7852R.jpg


ご存知のとおり、高杉晋作は自らが目指した夜明けを見ずして病に没してしまいました。
彼の亡骸は、彼が組織した奇兵隊の本拠地付近に葬られ、彼の恋人(不倫らしい)おうのが出家して梅処尼となり、その墓所近くにあった山県有朋の住居を譲り受け、東行庵と名づけたこの庵で彼の墓を守ったとのことです。
後の明治中期に伊藤博文井上馨らの寄進を受けて立て直されたのが現在の建物だそうです。

DSC_7850R.jpg

このときに建立された碑に刻まれているのが、冒頭の碑文です。

DSC_7860R.jpg

この建物は築100年以上なのですが、大工さんたちが気合を入れて作ったのでしょうね、まったく狂いもなく、障子や襖は非常にスムーズに動きます。

DSC_7854R.jpg

また、近隣の方々が手弁当で管理されているそうですが、建物もお庭も隅々まで手入れが行き届いていました。

DSC_7859R.jpg

高杉晋作と梅処尼、およびその後二代の住職(尼)さんの位牌が祀られている祭壇です。


じつは、この東行庵は毎年5月の連休に特別公開があり、それ以外の時期は公開していないそうです。

「中には入れないのですか?」
「どちらから来なさった?」
「東京からです」
「そりゃ遠路ご苦労様じゃのぅ。少しばかりじゃけどご案内しましょうのぅ」

そんな会話があって、東行庵の中を案内していただけました。
# 品川ナンバーと「東京」という言葉の威力はすごい!
プチパパは、プチ写真を撮りたくてお庭に入れないかとお尋ねしたつもりだったのですが、・・・ ご親切ですね、感謝!



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