Talking Eyes

プチパパは、山口で元気に暮らしています。痩せたし、ほぼ健康になったし ・・・・ 多少、否、多分に刺激欠乏症気味ですが(笑)

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大内文化

わが心のふるさと山口市は、貴族志向の強かった大内氏が室町時代後期から南北朝時代に戦乱(応仁の乱など)の京都から逃れたたくさんの公家などを庇護し、「西の京」として文化的にたいそう栄えたらしいですね。
詳しくは(大して詳しくないけど:汗)、06/02/1507/11/25 をご覧あれ。
大内氏は、それまでの多々良氏に代わって12世紀半ばから今の山口県を中心に(ピーク時には中国地方全域や北九州まで)支配し、16世紀半ばに毛利氏に滅ぼされた武家です。

学生時代は、吉田松陰、桂小五郎(木戸孝允)、村田蔵六(大村益次郎)などの幕末の志士たちのゆかりの地は訪ねていたのですが、大内氏関係はほとんど行っていませんでした。
で、大内氏遺跡凌雲寺跡という看板につられてフラフラと入った田舎道。

画像中央の坂道(実は石段)を左に上がると凌雲寺があった場所。
DSC_3695R1.jpg

この寺が大内義興(第30代当主)の菩提寺だったのでしょうか、墓所がありました。
DSC_3697R1.jpg
解説によると、凌雲寺は、大内氏滅亡後に庇護を失って廃寺になったとか。

また、この凌雲寺の南側に高さ3m・幅60m石垣があるところから、城塞もかねていたのではないかとのこと。
DSC_3702R1.jpg
この景色、なかなかのものだと思いませんか。なにか海外(映画かも)で見た景色に似ているものを感じましたが、どこだか思い出しません。

石垣が切れているところが惣門(正門)跡らしい。
DSC_3707R1.jpg
石垣の石、メチャ大きいですよね。

あぜ道を通っていたら、人生をほぼ全うしたつわぶきがありました。
DSC_3711R1.jpg
初めて知りましたが、つわぶきの種って、タンポポみたいなのですね。


この田舎道をなおも進むと山道に変わり、結局、西鳳便山と東鳳便山の間を抜ける峰越林道を走破することになりました。この道は、プチパパが上京してからできた道なので、初めて通ります。

DSC_3715R2.jpg




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