Talking Eyes

プチパパは、山口で元気に暮らしています。痩せたし、ほぼ健康になったし ・・・・ 多少、否、多分に刺激欠乏症気味ですが(笑)

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時は寿永4年3月24日(1185年4月25日)

一ノ谷、屋島と瀬戸内海を下りながら転戦してきた源氏と平家ですが、ここ壇ノ浦(関門海峡)で最後の合戦が行われました。
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前半は押し気味に戦いを進めたものの、後半は防戦一方となった平家。戦死者も多数出るに至り、「もはやこれまで」と悟った二位の尼は、「今ぞしる みもすそ川のおんながれ 波の下にも 都ありとは」と辞世の歌を詠んだのちに、幼帝安徳天皇を双の手で抱き、三種の神器の一つである天叢雲剣を腰(あめのむらくものつるぎ)につけて入水。安徳天皇は、御歳8歳であったとさ。
前置きが長くなりましたが、その安徳天皇を弔うために建てられたのが赤間神宮です。


赤間神宮は、龍宮城をイメージして作られているそうです。でも、誰か、龍宮城を見たことあるのでしょうか (フシギジャ !
これが龍宮城の入口水天門。
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水天門をくぐると、
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本殿(大安殿)があります。
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(建物は、すべて戦後の再建です。)

本殿の左には、平家武将たちの墓(平家塚)や、
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耳なし芳一がこもったというお堂(芳一堂)があります。
DSC_4010R1.jpg

この狛犬の尻尾におみくじを結んだヒト、好きです。
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叱られるかもしれませんが、かわいいですよね。真ん中ではなく、左に結んであるところにセンスを感じます(笑)


少し戻って、水門天の左側に安徳天皇阿弥陀寺陵(あみだじのみささぎ)があります。
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全国の平家伝説は、この壇ノ浦の合戦の敗北から始まるのですが、安徳天皇のお墓も、ここ下関の北西にある豊田町(現在は下関市)にもあります。
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先帝祭という赤間神宮のお祭がGWの連休のころにあります。
レジャーの乏しかった昔は「関の先帝、小倉の祗園。雨が降らねば金が降る」と言われたほどにぎやかなお祭りだったようです。

赤間神宮の左隣に、下関で最も格調高く由緒正しくお値段も高い河豚を食べさせる店があります。
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「春帆楼」(しゅんぱんろう)です。

ちなみに、山口県では河豚のことを「ふぐ」ではなく「ふく」といいます。「福」と縁起をかついでいるのでしょうね。

春帆楼は歴史ある料亭で、日清戦争終結に当たっての講和会議はここで行われています。
そのときのゆかりの品々を展示している日清講和記念館が敷地内にあります。
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でも、その春帆楼も、いきさつは知りませんが、今ではオリックスに買収されちまってます(たぶん、放漫経営の果てのことかなと勝手に推測)。


赤間神宮と春帆楼を海峡の向こう側、門司港レトロから見るとこんな感じです。
DSC_3338R1.jpg

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